やりたいことは強制されなくてもする

「やりたいことが続かない」「○○しなきゃいけないけど続かない」

勉強やら仕事やら。。。。

やらなきゃいけないことは本当は「やりたくない」事かもしれない。

する事によって お金・信用・社会的な側面・世間体等を整えなきゃいけないから

やるしかないと思って、それをやらなきゃいけないという状態に追い込んで

「やだ~」 と 心と体が悲鳴を上げてるのかもしれない。

 

現代人として社会と接しているとやはりある程度基準、基本は必要ですので

突き詰めていくと

「やる」か「やらないか」 

続かない時は、ムズムズしているときは「やりたくない(やらない)」選択の方が

心地よい状態だからでしょう。

私がブログを書き続けているのは 誰かから強制された事ではなくて

自分でなんとなく日記のようなメモのような、音楽はipodのような使い方を

しているのが習慣になって「やる」ことが自動的にスイッチが入るので

カチカチキーボードを打って ダラダラ文字を並べる事が 「苦ではない」だけです。脳内の整理という使い方もしてます。

最初は「タイピング」練習でもありました。

ツラツラと思いを書き留めて行ったら 

字を打つ事が苦にならなくなっていったのです。今は手書きがおろそかになって

漢字が怪しくなってる!!!!。

 

動画も一時期練習!と思ってしましたが、事務作業が苦手。

それも習慣化してしまえばできるようになるだろう。と思いつつ保留中。

社会的に必要なスキル、あった方が良いであろうスキルは

年々要求レベルが高まっているので、それは「基礎トレーニング」かな。

 

ネット接続もスマホもいじれなければ 今の時代で生きづらいでしょうし。

ある意味大変な時代ですね。

 

 「やる気」を自分の中に見出すか、他人の言葉で上げてもらっているか も

見極めの重要な部分で、

子供時代は親や先生等の「応援」で「その気」になって頑張って

頑張りが自分の心の目的と一緒であればいいのですが

実は違っていた。という大人も少なくないです。

先人が心しなければいけないのは

「周囲よりもいい成績を取る」ことが目的なのか

「頑張る力 生きる力をつける」事が目的なのかを 

導く大人自身が見極めていないと

成績、学歴 収入等の 「条件」にこだわるようになってしまう人を

生産してしまう恐れありです。

 

もちろん「がんばること」の経験は尊いものですし無駄ではありません。

自分の血肉になるし。

けれど、「呪縛」になってしまっていないか。という事も

振り返る必要があるのかもしれないと思っております。

そうでなければ 大人になってもいつまでたっても

「承認欲求が満たされないとキレる残念な人」

「条件が良くなければ他人も自分も認められない人」 

に変化してしまうからです。

 

子供は絵を描いたって、歌うたったって「かわいい~」「凄いね」と

周囲から反応をもらえます。 大人になるにつれ高いレベルを要求されるようになりますので 反応が鈍くなっていきます。

誰かからの応援は心地いい。でもそれを常に求め続けるのは不可能。

自分が自分を認める。ということでしょうか。

なので 他の誰かからの応援や声援は「有難い(あるほうが珍しい)」という

とってもとっても 滅多にない事だと 心から感謝の気持ちがわいてきますし

自分も誰かの良いところは積極的に口に出したい。と思っています。

 

 

 

好きな事だけして生きていく! というのは理想的。

そしてその好きな事をする事で「食べていける」「社会的信用を得る」ことが

できれば素晴らしい。最近はどんどん増えているような気がします。

 

出来ている人達も 様々な取捨選択で痛みを伴ってきた人もいるわけで

あれもこれもとマルチタスクでうまくできた人はもっと幸せなんだろうなと。

「取捨選択をする」事に慣れていくこともトレーニング。

「取捨選択をしない」事に慣れていくことも習慣。

人間、習慣を変化させる事は「辛い」し 言葉通り

「大変(大きく変化する)」です。

こういうものか・こういうものだろうな。と理解していれば

「ああ またこの感情が湧き出た。」と客観的になれるかも。

 

遡れば 取捨選択をできるほど沢山の経験を「した」わけで

「しなかった・してこなかった」人は 数手の中から選ばなきゃいけないわけだから

そりゃ 大変ですわね。

 

どちらが人生で得なのか。本来の自分の姿に立ち返れるのか

 

もっともっと考えて 頭と心で理解できるようにしていきたいです。まる。

 

 

 

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