24時間TVの話にからみ。。。
ボランティアの定義にも疑問を持っています。
過去、タイの津波後の歯科ボランティアへ行きましたが、
その時に「外国でボランティアするより、身近な患者さんたちへもっと奉仕しよう」と思いました。
海外で歯科治療するには日本のライセンスが使えないところもあるので
ボランティア時、先生方がタイの政府と協議して一週間 リーガルなライセンスとして許可を得て
活動ができるというところへ面白そうだなと思い、参加しました。
無料で何かしたら、された方は 「ありがとう!」と可愛い笑顔を振りまいてくれるでしょう。
そして した側も 自己満足で帰途に着けると思います。。。
そこへ ちょっとまって。。。と思うのです。
まず 継続して行動、活動が自立的にできるものなのか。
誰かの援助(このときは歯科医師が医院を休み、参加費用として結構な金額を支払いました。。休むだけでも持ち出しです)
と善意の活動ありきなのか。
現地の産業をつぶしてしまう事はあり得ないのか?(現地にも歯科医院があるでしょうから無料であれば
ボランティアの方に皆来ますけれど 現地の歯科医院への影響は?)
アフリカへ物資を送ろう! というものも。。。巡り巡っては
現地の食品産業を潰しかねないですし(無料で配られたら太刀打ちできない)
無料でくれるなら 頑張らないでいいじゃんね~~と なってしまわないのか。
ユニクロがリサイクルの服を送るという活動も
現地の産業を潰してしまっているのではないかと 危惧するのです。
ボランティアや 援助は 現地の人たちのインフラを整えて
彼らが自分たちで維持運営できるようなものでないと
結局は 貧困などを助長しているだけなのではないかと 思ってしまうのです。
中学生の時に 備蓄の消費期限が近い カンパンをアフリカへ送ろうと言われたことがあります。
反対の人手を挙げて~!と言われたときに 私は手をあげました。
皆の ドヨドヨとした空気を忘れられません。。。
絶対に良い事しているんだから 反対する人なんていないんでしょ?という空気でしたから。
「焼け石に水になるよりも、自分たちでどのようなものなのか消費した方が良いと思う」と。
恐らく 本意は理解されなかったと思います。
私も子供なので表現がうまく出来なかったですし。
いらないから あげる。 って どうなんだろう。。。と思ったのです。
もちろんそれで命が助かるかもしれません。 一時的には。
継続できないシステムにはいつかどこかで負担が来ますし
自立できる方向へ行かなければ 善意のボランティアの中からも疑問の声が上がってくると思います。
今は負担しきれて、支えることができてもそれが永続的な状態でなければ
いつか破たんします。
そのような事から考えると ちゃんとインフラや産業として成り立つ事へのお手伝いは
良いと思うのですが、 ものを(不用品)あげる。って
実は とっても 甘い砂糖の毒なのではないかと思うのであります。
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