かわいそう病

可哀想病。

あえてつけると そういう病(やまい)なのかな。
みんな簡単にすぐ 可哀想、可哀想と言う事に違和感を感じ続けていた。

自分自身へ ●●できない自分は 可哀想。。。と ヤマイを作り出してしまう人も多いし
他人を見て ●●な人は 可哀想。。。と 他人をいきなり簡単に可哀想な立場へ貶める人も多い。

可哀想を感じるレベルってなんなんだ?と思ってみると

基準を自分にしてみて、 下だ。劣っていると思ったときに とっさに出てくる言葉なんだろうと感じる。

言葉の雰囲気の裏に、「私はそれに比べて優れている、恵まれている」と 隠れているような感じ。

そう考える事は生きていく上でのテクニックでもあるのだけれど、自分の中にだけ納めておいて、
他人に対して発して使う言葉ではないと強く思うのです。

可哀想と言われて、「でしょ?だから皆私に同情して!」と同情や甘えや関心をひく手立てに使う人もいるから
相互依存、共依存な場合もあるから それならお互いにどうぞ。ご自由に。と思いますが
関係ない人にまで 依存の関係を強いる言は しないほうがいいと思います。

昨日、乙武さんの始球式の動画を見ていて、
とても、なんともいえず、感動して 大笑いをさせてもらった。
幸せな気分になって。 笑うところではないのかもしれないけれど、
涙がでてきた。

障害を持つ人を 可哀想。と一くくりにし、いちいち 可哀想。そんなことさせないで! 笑うなんて不謹慎。という空気もある。

でも、その人がしたことで 幸せな気分をもらったとして、それで大笑いしても不謹慎なのかな?

悪意のある嘲笑は 周囲だって雰囲気を察するだろうし、嫌な気分になる。

でも、可哀想病だと 笑われた=からかわれている と感じてしまう回路が 不幸なんだろうなと思う。

笑われた=楽しんでもらえた と 感じるように変換できたら 結構うまく世の中生きていけると思う。

笑われる事に極端に怯える人も居て、そんなに 虚勢を張らないほうが楽なんじゃないの?と思うときもある。

私の好きな言葉で、 「自分を笑えるものは 他人から嘲笑されない」

どんな不幸も、不運も 悲しみも  後で 笑えるほど 昇華したら これ程すばらしい 魂のオリを綺麗に掃除することはないと思う。

それを 魂の 垢をつくりだしてしまう病。

かわいそう病。 お薬は 笑いかな。。。

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