判断力

生きる上で必要な要領。
要領を育てる 判断力。

心理戦というかシュミレーション力というか、次の次はアレ。のような組み立て方は
普段から鍛えていないと 鈍る。

時間を与えられれば だれでもある程度はできるが
人生の決断とか行動の場合 瞬時の判断が白黒分ける場面だらけ。
会話一つとっても 一瞬の判断が口から出て 場が収まるか最悪な状況になるかなんて
日常茶飯事だろう。

残念ながら 人間が生きていく時 ただのんべんだらりとは生きていけない。
息をして心臓が動いているだけで生命維持ができるわけではなく
経済活動や集団との関わりが必須になる。

生活保護を受けている人だって 原因、理由はともかく 要領を使っている。
社会制度を利用するという 生きる知恵を身につけている。
どこでどうすれば良いという決断や行動には常に判断力がいる。

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おしなべて 日本人は ”人が良い”ので 一昔前のように
同じように”人が良い”人たちの集団の中では同じルールが通用し
自分が人が良いずるくない行動をしていたとしても 苦い思いをすることは少なかった。

日本人がノホホンとしていられたのは、自分が注意し、警戒しなくても
周囲がちゃんと 良いようにお膳立てしてくれる、悪いことはされないという
暗黙のルールの上で成り立ってきたこと。

よそでは性悪説のような成り立ちが多いので
ニンゲンは監視していないと悪いことする。という所から
いかに悪いことを未然に防ぐかをよく考えられている。
不正ができないようなシステムをあらかじめ予測してガチガチに作っていたりする。

日本では 性善説だから まさか悪いようにはしないよね?というような
所から始めるので 後手後手になる。
特に昨今では今までと違う。 

人を信頼するという所では日本人は純粋なのだろうと思うけれど
まさか自分が餌食に。。というようなことがありふれているのだと、
これからはもっと狡猾になるのだと心していかなければ。。

お互い様という気持ちで、たとえ 悪い結果になったとして 自己反省に基づき
とことんまで相手を貶めるより 落とし所、引き際があったのは今は昔。
最初から最後まで悪意をもってやってくる輩が増えているのは覚悟しておかないと。。

相撲も、動物の繁殖時のオスの争いも
勝ち負けだけであって、相手の息の根を止めるという所までは まずいかないが
最近の事件などでは限度がなくなっている感じがする。

相手を倒し、なおかつ唾を吐きかけ罵倒し、それでも興奮が収まらない行動、 
日本人だと顔をゆがめるようなやり方をする人が
増えているように感じる。

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どんなに安い牛丼の店でも客として入れば 店員さんからは
一律なサービスを受けることができる と言うこと。それもレベルが高い。
これって凄いことだということを 当たり前だと思っている日本人が多すぎる。
そこがまた日本のよい所でもあり、餌食になる場所でもあると思う。

他所では 金額に見合うサービスが当たり前。
安い店の店員がぶっきらぼうだったとしても、それなりだという暗黙の了解がある。
昔の日本でも 安かろう悪かろうってあったのにね。

日本では 安い店でもとことんクレームをつけたがる人間が多い。
自分は会社の体質を改善してやっているんだくらいの気持ちでいるなら たちが悪い。

あまりに高度に発達しすぎた手取り足取りなサービスのおかげで
100%無事故、無故障 高補償などの状態が当たり前という人が増えてきた。
医療現場にも言える。人の命さえも医者が補償しろというような意見を持つ人たち。
モノもヒトも壊れる時が或る。
どうしようもないこともあるんだという落としどころをつける経験をしてこないのかな。

色々な言い方をしても、焦点は
「自分の気持がどう扱われたかどうか」という視点でしかないので
話し合いになったとしても 感情論ばかりが飛び交う。
自分は納得しない となると お手上げだ。
ヒトの感情を満足するまで補償する方法はない。

店での場合自分はどれくらいその場所に客として寄与したのか という視点は無視される。
逆に知ってか知らずか、そこを突いて
「うち、ココ家族で利用してたのに。。」とか
「私 ここって決めてたのよ」とか どれだけ寄与したのかをアピールする輩もいる。

そういわれると 店側は心理的に立場が弱くなる。
クレームも度が過ぎると脅しだとか営業妨害だという意識はぶっとぶらしい。

自営業者にとって店側の客の増減に関わる事が死活問題くらいの恐怖を与えるとは
クレーム側にとって考えにないのか、もっと悪く言うと その相手の様子を
わざと楽しんでいる人間も増えてきているように感じる。

最近では 断る方法 のような本が店頭に多く出ている。
それだけ断る事(というより線引きの場所)が問題になることが多いのだろう。

店側が大きく出て良いというわけではないが
自分がそこで買い物やサービスを受ける事の 手配をしてくれていたのが店であって
自分が買い物をするとき、その商品の選別手配運搬陳列商品管理などをする 手間を
請け負ってくれていると思っている。

自分は対価を支払ってその手間をはぶかせてもらっているだけ。

その流通のどの部分が危うかったり 抜けてたりしていても
今の日本の高度な信頼性の高いサービスは成り立たない。

自分ひとりで世界は回らない。自分が受けている恩恵は当たり前ではない世界もある。

判断を間違えるとトンデモニンゲンになってしまう。

ただただあるがままに生きるだけでは 脳がとろけるだけだろう。

最近の事故で、 線路に立ち往生した運転手が警報機を鳴らして再び車に戻り
衝突されて亡くなったそう・
ご冥福をお祈りしますが、 そこでも 生きるという判断が鈍ったのか
生命の維持ができなくなったとも取れる。
衝突しないように最期まで必死に何とかしようと試みたのかもしれないけれど、
どこかのタイミングで やるかあきらめるか を決断したのだろうか。。
目の前で衝突が起きて、原因が自分っていうのも血の気が引くことだろうが。

複雑になる世界で、判断力という脳力は必須なんだろうと 思う。
そして、それは常に考え決断し行動するという反復練習によって身につけていくのだろうと
思う。。。。

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