ジグソーパズル 曼荼羅

私は全く持って 宗教家でも、悪魔崇拝者でもないので
ただ純粋に 科学としての スピリチュアルというものの捉え方、
実践の仕方を 探求している最中とでもいいましょうか。

そして、あまりにも情報が おかしすぎるオカルト的解釈をされている
誤解をうけている スピリチュアル性について
花が時期がきたら咲く事のメカニズムを知る事と同じように 
解読していきたいだけです。

たまたま、あちらの世界を垣間見せていただき、
あちらの世界の人たちと、雑ではありますが双方向で
見せていただく機会を与えていただいているので
そこから見たり、聞いたり、感じたり、経験した事を
こちらの世界の仕組みになぞらえて 解明できる所はしていこうと
そういう事で 今まで 行動してきました。

全ての出来事は、事の大小にかかわらず
人生や、世界の成り立ちの縮図を ジグソーパズルとすると、
一つひとつの 経験 知識 体験 感情などが
1ピース 1ピースとなっていて、

最初は
ジグソーパズルの存在すらもしらずに その遊びを始めるのと同じで
バラバラになった かけらの山が人生に沢山積まれているようなものです。
なんなのか。山なのか、 ゴミなのか いったいなんだろうと。
そして、たまたま 山の中から二つのピースが合うことを発見し、
自然と そのピースをつなげていったら
だんだんと おぼろげに 絵が見えてきて、
最終的に、ああこれは ジグソーパズルのようなものなのだなと理解するようなものである事。
そして、そのピースは途方もない数からなり、
でもつながると 一つの変えようのない 絵画が出来上がるという感じです。

1ピースだけを見つめても なんじゃこりゃ??ですし、
意味がわからないです。ほとんど。

でも、だんだんと 繋がり始め(私は脳内リンクといっていました)
絵がおぼろげに解ってくると ジグソーパズルがすいすいと進むように
スピリチュアル的解釈が容易になりはじめます。

注意が必要なのは、そのピースの中には 
☆違うパズルのピースを後天的に混ぜられてしまったり、
☆自分で勝手に ないと思われた部分のピースを作ってぐいぐいはめ込んでしまって後から繋がらなくなってしまう
☆または、似た様で違う位置のピースをグイグイ押し込んで
つながらなくなってしまっている

という ミスも犯す事があります。
だんだん全体像がつかめるようになってきたら
その合っていなかったパズルのピースもちゃんとした位置に戻す事ができますし
修正もききます。

人生はその自分に与えられた どんな絵が描いてあるのかわからない
パズルを 作り上げていく事に似ています。

全てのピースは、複雑な形で、当初はわかりにくいものですが
根気強く、そして忍耐強く 繋がっていけば ああ、これだったのだ~と。

まずは そのピースを探し出す事から始まります。
そういう意味では 途方もない作業でありますが、
先人たちのお知恵も借りつつ 自分でも探求しつつ 
長い魂の生命の中での 最終的な 曼荼羅となるそうです☆

もちろん、そのパズルをする、しないも自由意志です。

 

コメント

  1. ねずみ より:

    今日考えていた事
    今日お散歩しながら考えていた事がありました。
    完成された完璧なモノってあるのだろうかと、私自身無宗教でありますが、所謂神と呼ばれるモノが完成された完璧なモノで、この世にある全てが神の顕現であり一見不完全なモノであってもそれはブロックのピースの一つでお互いを組み合わせる事で補完され、玩具のレゴの様に様々な形や組み合わせが無限なのではないのかと…人はともすれば欠けている部分に不平をこぼしますが欠けているからこそ誰かや何かの凸凹部分を受け止める事が出来たり支えて貰ったりして変化出来るのかなと。長くなって申し訳ありません(..;)ちょっとシンクロしていたので思わず書いてしまいました。

  2. aquablue(インチョ) より:

    Unknown
    こんにちは。良いシンクロしてますね。
    私もまだ理解の途中なのですが、
    その出来上がりのものは、個人こじんの
    自由意志が尊重される 絵。
    そしてさらに もっと大きな変えようのない
    普遍の真理に基づく絵 があるようです。

    だからその個人こじんの作品が また
    大きな絵の1ピースになっているという
    無限大な感じです。

    なので 一見不完全に見えるようで、
    本当は 一定の規則、法則にのっとって
    とても正確に狂いなく計画されていると。

    だから これを見させられる度に、
    こういう事ができる存在っていうのは
    神としか表現できないなあと思うのです。

    所詮私たちは お釈迦様の手の平を
    飛び回っていただけの ゴクウなのです。

  3. なずな より:

    そういえば
    何かを完成させたり、終えたりすることを恐れることがあります。

    その先に何があるのか、心のどこかでわかっているからです。

    人と人とは隔てられています。
    生まれ育った時代や場所、経済状態、立場
    あるいは生と死により、それぞれの道を別れていきます。

    けれど、その悲しみの中でもなお生きようと
    前に進もうとする心こそ、命だったのですね。

    と言うような解釈もできる歌を
    いきなり第一章にぶちかました、とんでもない小説がありますね。

    うん、古典はすごい!

  4. saki より:

    Unknown
    生きて行くって立体パズルのようだと思っていました。

    何か必要な気付きがあったとき、出会いが会った時、
    「パチン」とピースがきちんとはめ込まれたような感覚になります。

    そして、あぁ、コレはこういう絵だったんだ。こういう形だったんだ。ココにはめ込まれたのか。とか。
    (私のイメージは球体なんですけど。)
    コレとコレは繋がってたのね。とか。

    そのパズルのピースを拾い集めるのが人生なんだなぁ~。と。
    死ぬまでにキチンと完成できるかなぁ~なんて。

    球体からイメージするのは「魂」で
    自分の魂を完成させていく作業なのかも。とか
    なんか支離滅裂でお恥ずかしい(^^;

    でもこの記事読んで
    私が感じていた事は当たらずとも遠からず?
    かなと、うれしくなりコメントさせていただきますた

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