生きている人間の方が怖い②

スピリチュアルな方向に進む事が、自分にとってなんなのか、
どういう意味があるのかが 最大の疑問でした。

私的なお役目は、段々わかりかけてきたことなのですが

肉体を失った霊たちにとって、病気や怪我などの死因は
いまだに死んでも引きずる物(彼らが死んで肉体を失ったと理解できずにいる場合)で、死後は思考の産物の世界なので

こっちの世の中に出てきちゃってる人達はよく血だらけの武者とか
怪我してる人とか、、、だったりすることがよくあります。
脅かす気でやってるのではなく、その状態の思考で 出ちゃうんです。

昔や、伝統的なやり方では偉いお坊さんが「成仏しろ~~」なんて
お払いをするのですが、いかんせん彼らにとっては傷だらけで怪我だらけ。
情念だけで思いを残し死んで行った人達ならば偉いお念仏を聞いて
心を新たにし、あちらに旅立っていけるのでしょうが、

怪我してるんだよ。何とかしてよ。と訴えかける霊さん達もいるわけで、
そんな人達に人の道を説き、力ずくで成仏させようとしても
努力の方向が違うんですよ。 怪我してたら治さなきゃ。

霊さん達も医療関係の人間からの医学的サポートが必要らしく、
(ッていっても、矢が刺さってる人の矢を抜いてあげて消毒し、傷口を縫うイメージなんだけれども。)
そうすると手当てしてもらった事で安心するらしく、顔つきも柔らかくなります。

手塚治虫の作品は凄いなあと関心するのですが霊的な世界の事と凄くリンクしている。

私の仕事はまさに火の鳥の中の 八百比丘尼(うるおぼえ)なんです。
私の課せられたお役目として 生きている人、死んでいる人への手当て。
両方の世界を行き来する事なんです。
最初はびっくりしました。
でも、上の人達が言ってくれるのは 

「お前は度胸がある」と。

垣間見せてくれる世界は、普通では目をそらす人が多い中で
(だって、黄金虫に全身を食べられて自分が死ぬ所も見届けようなんて悪趣味な事も 受け入れてるんですから。。)
「どうして?なんで?どうすればいいの?」の気持ちで向かい合う事。 

まんが日本むかしばなしでも、
村の中にいわくつきの場所があって、村人達が恐れている所に
旅の坊さんが現れて 「見届けよう」と 様子をうかがい、原因を知り
解決するって あるじゃないですか。そんな感じ。

見たくない、見ると怖い を 乗り越えると見えてくるものがある。

黄金虫の事件もありまして、以前から感じていた事なのですが、
全ての彼ら(霊たち)の行動には彼らなりの理由があり、
よくよく聞いてみると、人間のわがままや、傲慢さが原因だったりする。

ある意味霊たちの行動はシンプルで、理由もなく出てきたり、
何かを訴えようとしたりはしないです。

どうしてそうするの?と 聞く姿勢を見せれば、
なるほど、それが理由なのですね。という答えが必ずある。
それを解決できたら 成仏するとかね。

とっても素直でシンプルですよ。思考回路が。

だから、生きている人が”理由が無い”行動をする時
とても怖く感じます。。。。

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