古事記とワタシ

古事記とワタシ⑦ 自分のルーツと天皇と

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酒場で前歯のないおじさんが 与太話をしていると思って読んでくださいませ。
いつか私の子孫がこの話を読むかもしれません。そんな時へのメモです。

私の母方の叔母さんや祖母からは「聖武天皇がご先祖様で、世が世なら私たちも姫だったんだけどねぇww」といつも言われておりました。

フツーに生まれてフツーに育っているので その話もよくある話だと思っておりましたし
特段何かがあるというわけではなかったので 華麗にスルーしていました。

祖父はお寺の子で、固い役人。満州から行き引きあげとともに 夜間大学へ通い 裁判官になった人でした。
祖母は専業主婦。ずーーーっと着物を着て お正月に会うだけだったのでこたつで笑っていて前歯が金歯で縁取りしていたのを
覚えています。

(カイメンキンカンといいます。歯科でももう既に死語になっているので 界面?開面金冠だと思うのですが定かではないです)

当時 小金持ちのおしゃれらしく 死後 歯科医だという事で私が義歯と金歯をいただいた時に
金を外してみたところ、全くう蝕も欠損も無く綺麗な歯でした。 何も虫歯が無くても入れたのがステータスで
ラッパーがするような事を当時の祖母はしていたそうですw 
(その時の大量の金を鋳造しなおして私の母の奥歯に入れているのは 悪趣味でしょうかw)
祖母の家は養蚕もし、和洋折衷で 畳の上にテーブルがあるような家だったと母から聞きました。

祖母は当時の 飛んでる女性 で(DNAは見事に引き継がれているように思います)
親の決めた許嫁がいたのに 「海外へ行きたい」というだけで 満州へ祖父と駆け落ちしてしまいました。
当然 実家からは縁を切られ そこで 祖母のルーツは一旦私の中で 途絶えておりました。

祖母の実家へは行った事がなく 群馬、足利という事だけはちらほら 母と叔母の会話から
「群馬のおじさん」という人物として小耳にはさんだくらいです。

ちょこちょこと 「姫だったのよ」とか 「家に即身仏があった」とか 「群馬の豪商だったが農地改革で土地を取られた」とか
「他人の土地をまたがずに〇〇まで行けた」等
聞く事はありましたが 子供だったのでよく覚えていません。

私の記憶にある祖父と祖母は 「裁判官とその妻」 という夫婦の姿、しかも祖父は66歳という若さで亡くなったので
赤子だった私の記憶には 「裁判官」という人 しかありません。
判例集にも祖父の裁判が載っているそうです。未だチェックしていません。

今から思えば 祖母はとても勘の良い人で、私の母も 叔母もそうです。
おそらくそちらから来ているものがあると今では確信しております。
満州から引きあげの際、母は危うく 残留孤児になってもおかしくはない状況でしたが
上手く逃れ、日本へ帰ってくることができました。

日本へ帰って身を寄せた実家は 縁を切っている上、命からがら身一つで逃げてきている一家を最初はしぶしぶ
受け入れてくれましたが、
祖父が司法試験に合格したとたんに 手のひらを返したようにチヤホヤしたと ちらっと言っていました。
人間って肩書、、、現金ですね。

叔母は 岸恵子をもっと和風にしたような上品な人で、崩した姿を見た事がありません。
男の子しかいない叔母さんは 女の子の私をとても可愛がってくれたのですが
半ズボンばかり着ているので ワンピースを着せたかった。。。とずっと言っておりましたw
今でも叔母さんは女の子達とお茶をして 有閑マダムをしています。

その叔母から先日、あるものを頂きました。

祖父が頂いたナントカ褒章です。 (名前は失念。後で確認 瑞宝ナントカだった気がします)

漆塗りの重厚なケースの中に入ったナントカ褒章。簡単な七宝ではなくしっかりとした焼き物だと知り合いの人が言っていました。
祖父は受け取る前に亡くなったので お役人さん達が家まで届けに来たそうです。

その勲章は 祖父大好きだった叔母がずっと大切に保管していたのですが
年齢も年齢だし、 その勲章を受け継ぐ人は インチョへ。。。という事で
私が受け継ぐことになったのが この前の6月でした。

そこからまた動き始めます。

 

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